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誤謬って言葉を使いたかっただけ

このツイートを見たことがあるだろうか

 

Testosterone on Twitter: "悪口陰口嫌がらせ、全部暇人のやる事だから気にすんな。プライベートも仕事も絶好調で超ハッピーな人がわざわざ他人の事チェックしてケチつけねーだろ?自分がうまくいってなくて不幸で暇な奴が悪口陰口嫌がらせなんてするんだよ。「おう暇人!お疲れ!」って思っときゃいい。相手しても損するだけだ。"

 

ツイッターで拡散されているものの馬鹿馬鹿しさをいちいち指摘する方がむしろ知的な態度から遠いことだろう。しかし、このくだらない啓発まがいのツイートを目にすることがあまりに多く、さすがに辟易させられたので、腹いせとして批判しようと思う。

 

まずはツイートを上から読んでいこう。

 

>悪口陰口嫌がらせ、全部暇人のやる事だから気にすんな。

 

いきなり疑問の余地だらけの主張である。悪口陰口嫌がらせ(今後便宜上これらを行うことをdisると呼ぶ)は「暇人」によってしか為されないそうだが、これは一般的な「暇人」という語の定義とは明らかに一致していないだろう。別に暇だから人をdisるわけではないし、暇でない時に人をdisることがあることは自明である。実際、私は現在暇ではないが、くだらないツイートをdisるためにわざわざブログを書いているのだ。

さらに、この一文からは「暇人のやる事は気にしなくても良い」ということが前提になっていると読み取れるが、これが真ではないことも(一般的「暇人」の定義に基づいて考えれば)明らかだ。disの主体者が多忙か否かにdisの正当性、有意性が依存するわけがなかろう。

 

と、頭からおかしいことを言っているのだが、我慢して読み進めよう。

 

>プライベートも仕事も絶好調で超ハッピーな人がわざわざ他人の事チェックしてケチつけねーだろ?自分がうまくいってなくて不幸で暇な奴が悪口陰口嫌がらせなんてするんだよ。

 

ここまでよめば主張の大意は読み取れる。要するに、「超ハッピーならば人をdisらない」→「disるのは不幸で暇な奴(おそらくこれが頭の文の「暇人」の定義なのだろう)」→「disは聞くべきではない」という論理展開だろう。さらに、「不幸で暇な奴のdisは聞くべきではない」というのも前提になっている。

 

まず、「不幸で暇な奴のdisは聞くべきではない」という前提だが、明文化はされていないが、これは「不幸で暇な奴のdisは彼らが心に余裕が無く、単に妬み嫉みをぶつけただけのくだらないものだから気にすることはない。」ということだろう。これのうち、「心に余裕が無く、単に妬み嫉みをぶつけただけのくだらないdisを気にするべきでは無い」という部分は正しい。ルサンチマンからなる見苦しいdisをいちいち真に受けるのはまるで馬鹿らしいことだ。

 

しかし、この部分の正しさ、受け入れやすさを利用して恣意的に解釈を散大させていることが問題なのだ。

 

大元となっている「超ハッピーならば人をdisらない」という主張とその対偶と思しき「人をdisるのは不幸で暇な奴」という主張について考えよう。

おそらくこれら主張は「人をdisるのは心に余裕が無いからである」という前提に基づいている。おしなべてdisという行為は心の余裕の無さ、自分の自信の無さからくるものであり、それら劣等感に類する感情を持たない「超ハッピー」な人がdisなどするわけない、ということだ。

しかし——これら主張を信じ切って偽りの安寧を得ている人々にとっては受け入れ難いことかもしれないが——すべてのdisが劣等感に起因するなどということはありえない。そのことを我々は考えるまでもなく知っているはずだ。ジャイアンはなぜのび太をいじめるのか?スネ夫はなぜのび太の悪口を言うのか?まさかのび太に劣等感を感じているからだとは言うまい。心の不安を形に変えているとは言うまい。そのような要素が一切無いとは言わないが、最大の動機は「ただ楽しい」からである。

なぜ阪大生は関関同立をdisるのか?

「自らの優位性を確認して安心したいからだ」「学歴しか明確な自信のあるものがないからそれだけは誇示したいのだ」

なるほど妥当な指摘である。もっとも、核心的ではない。やはり最大の動機は「ただ楽しいから」なのだ。

社会規範としての道徳のある世界に生きている以上、そう思うことに禁忌感を抱いたり、そう言い切っている人(ex:私)に嫌悪感を抱くのは自然である。しかし、心の底から「disは楽しい」ということを否定できるだろうか?

知的に、あるいは容姿でもなんでもよい、劣っているもの、程度の低いものを蔑むのは面白いことなのである。

 

よって、「超ハッピーならば人をdisらない」などというのは全くの誤謬である。

 

>「おう暇人!お疲れ!」って思っときゃいい。相手しても損するだけだ。

 

「心の余裕の無さから人をdisることがある」

という命題から「人をdisるのは心に余裕が無いからである」が導かれないことは高1の集合論レベルであり、多少聡明であれば小学校低学年生でも理解できることだろう。

そんな少し考えれば誰でも分かることに向き合おうともせず、自分をdisるものはすべて「心の余裕の無い不幸で暇な奴」であると決めつけ見下すその姿勢は、ただ楽しいから人をdisっており、それを自覚的かどうかの差はあっても理解している知性ある人々よりもよほど冷酷で、醜悪である。

くだらない道徳では「正しい」disなどありはしないだろうが、disによって間違いに気付かされたり、知的にdisを楽しむことで有益にdisを受け取ることは可能だろう。そんなことにも思い当たらず相手しても損するだけなどと断ずるような白痴は、一生自分に優しくしてくれる人の話だけ聞いて、可能性を見て見ぬ振りをし、私はこれでいい、などと知性のかけらもないことを自分に言い聞かせながら死んで行くといい。